映画

ハウルの動く城

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【マクノスケ】
公開前から過剰な期待はしていなかったからか(あの鈴木プロデューサーが作ったという予告がしみったれていて損しているような気がするなあ!)まずまず楽しました。
主人公の生活感溢れる日常描写は「さすが宮崎さん」という感じですね。掃除、洗濯、料理をテキパキとこなしていく姿は「名探偵ホームズ」のハドソン夫人と重なります。
主人公ソフィーが心を通わせていくほのぼのとしたキャラたちも見ていて本当に微笑ましくて心が和みました。またキャラの演技のさせ方(たとえばソフィーが椅子に腰掛けているシーンなどは、アニメにありがちなお人形のように両足を揃えて可愛らしく座っているのではなく、両足を開いて座わらせていたり、ある意味リアルにこだわっているとも思いました。)や、風すさぶ荒野や涼やかな緑の大地など情景描写も相変わらず素晴らしく、大いに宮崎ブランドを感じさせて貰いました。

ただ見終わった後マクタロウが「いつもの宮崎さんらしくない」と言うので、いろいろ話しているうちに、ストーリーにおけるいつもの宮崎節がないことに気付きました。思えば「カリ城」から始まる宮崎作品(映画)には、いつだって主人公が必死なって身体を張ってヒロインを守り奮闘する姿がありました。(「トトロ」ではさつきがいなくなったメイを探すシーンがこれに当たると思います。)今回はそれが弱いような気がするのです。
それに原作にはない「戦争」という背景が、ひまひとつ本筋にからんでいなかったようにも思います。わざわざ戦争という時代背景を振り、あえて本筋がそれにからまないように描いているかに見える宮崎さんの真意はどこにあるんでしょうか?

最初の方で、ハウルが鳥人間になって戦火の中を飛行するシーンがありますが、あれは何のために出掛けていたのでしょうか?戦争は嫌っていたが、興味はあったと取るべきなのか?それだったらハウルの城がわざわざ戦地につながっていたのもわかります。
また、途中なぜ一旦城を壊す必要があったのか…これもそれぞれが空想をふくらませて考えなければなりません。私は「ハウルの城」こそがソフィーの後ろ向きな心を象徴しているのと思ったので、それを解放し(破壊し)解き放つという意味があったのでは…と理解したのですが、どうやら深読みのしすぎだったようです。(^^;)
ハウルの過去のシーンもイメージだけで映画を見ただけでは理解しづらかったと思います。自分が可愛くないというコンプレックスを持っているソフィーと美しくなければ生きている価値がないと思っているハウルの振りもその後語られることなく終わっているのが残念です。勝手な思いですが、いつもの宮崎さんだたら、そんなふたりが偶然(映画は偶然の出会いじゃなかった!)出会い、愛を育て、戦争に反対しながらも、事件に巻き込まれ、大切に思っている人の為に戦う…そんな話になっていたんじゃないかと思ってみたりするんですが…。
まあ、これは私の願望です。

最後に、友人のY嬢の名前をエンドロール(動画)で確認。動画チェックにクレジットされているTさんと共にアニメの専門学校時代に卒業制作でいっしょにアニメを作った間柄です。いろいろと大変だったようですがお疲れ様でした!!


【マクタロウ】
宮崎駿監督は私の大好きな映画監督で、いつも新作を楽しみに観に行くのだが、今回は予告のせいか、今ひとつ乗り気になれないまま鑑賞してきた。
さて観賞後の第一声であるが、「どうしちゃったの?宮崎監督」である。
ハウルの弟子マルクル、かかしのカブなど愛すべきキャラクターもいるし、しぐさや背景の丁寧さはさすが宮崎作品。
しかし、ソフィーが愛することになる肝心のハウルの魅力が伝わってこない。ハウルが何を考えているのか、彼の行動は何が目的なのか等々分からないことが多すぎる(ソフィーは彼のどこに惹かれたのか?)。
また、荒れ地の魔女の魔法で、ばあさんにされてしまったソフィーが、めげることなく持ち前の優しさで、敵も味方も魅了していく様はいつもの宮崎印ではあるが、今回はちょっと観客に甘えているよう(「いつものパターンですよ、わかるでしょ」といった感じ、つまりソフィーの魅力もそこまでは感じられなかったといったところか)に思った。
更に、タイトルにもなっている「動く城」の魅力もまるで感じなかった(あれほど魅力的な外観なのに)。
今までの宮崎作品では、主人公が暮らす場所(「ラピュタ」のタイガーモス号、「千と千尋」の風呂屋など)は細かくレイアウトがなされ、そこに行ってみたくなるほどの魅力を発揮していた。
しかし本作の城はキャッチコピーで「ふたりが暮らした」とまで言っておきながら、その城の内部はわずかに3部屋ほどしか描かれない。しかもハウルはほとんど城にいなくて(いても寝ているか風呂に入っている)これではとても「ふたりが暮らした」ようには見えないのである。
ストーリー展開も何かちぐはぐさを感じる。
本作の悪役だと思っていた荒れ地の魔女は、中盤でハウルの先生であるサリマンによって腑抜けにされてしまう。
以降、図式は「ハウル対荒れ地の魔女」から「ハウル対サリマン」に変わり、冒頭から度々語られてきた「戦争」を絡めての展開をする。
この「戦争」のくだりが、取って付けたようで「戦争はいけません」という事を言いたいが為のモノにしかなっていないように感じる。うまく消化し切れていないのだ。
全体的に、なぜ宮崎監督がこの題材を映画化したのかがわからないのだが、ラストの「おとぎ話」の定番、キスで本当の姿に戻るカブに至っては、宮崎監督のやる気が失せたのかと勘ぐってしまう。

これまでの宮崎作品では、主人公が誰かのために一生懸命に「戦う」様が描かれてきたように思う。
しかし本作では、確かにハウルはソフィー(達)のために戦うが、その様子は描かれない。もしかしたら宮崎監督は、愛する者を守るための「戦い」すら描く気が無くなってしまったのか?
確かに現実世界では「誰かのための戦い」によって悲劇が繰り返されている。だけど(最初からそのことをテーマにしていれば別だが)娯楽映画の世界くらいは、そんなことを忘れさせてほしいと私は思う。

■ふたりが暮らした。
[監][脚]宮崎駿
[原]ダイアナ・ウィン・ジョーンズ
[プ]鈴木敏夫
[作監]山下明彦ほか
[音]久石譲
[歌][声]倍賞千恵子
[声]木村拓哉 美輪明宏 我修院達也 神木隆之介 加藤治子 原田大二郎
[制作データ] 2004東宝
[上映時間] 119分




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